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2017-08

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童謡唱歌のふるさと探訪23・・・【背くらべ】 - 2012.05.06 Sun

 昨日五月五日はこどもの日(端午の節句)だった。
 もっとも節句といっても近年では柏餅や粽を食べて菖蒲湯に入るぐらいだが。
 かつてはこの端午の節句と三月三日の上巳の節句(今のひな祭り)は共に子供の成長を願う日で特に男女の区別は無かったそうだが、上巳の節句は「ママゴト」の要素が強く、端午の節句はちょうど菖蒲の時期であり菖蒲は尚武に通ずることからそれぞれ女の子と男の子の日に分離したらしい。
 
 そんな端午の節句の昼下がり。
 ふとした会話の中で妻が、♫柱のきずはおととしの~ といきなり歌い出した。
 何だ何だ?と見ていたら、
「ねえ、この柱のきず、何で去年じゃなくて一昨年なんだろう?」
と疑問を投げかけてきた。

 普段あまり女房からこのての質問は飛んでこないので、思わぬ変化球に、
「さあ?」
と身をかわしそのまま知らぬ顔の半兵衛をきめこもうとしたのだが、すかさず、
「そういえば最近童謡唱歌の勉強サボッてるんじゃないの!」
と今度は“ドスンッ”と重たい直球が投げ込まれてきた。
 デッドボールだった。
 威張る訳ではないがこうなると私の答えようは一つだ。
「ゴメン、今すぐ調べます……」


  【背くらべ】  海野 厚作詞  中山晋平作曲
    ♪柱のきずは をととしの、
     五月五日の 背くらべ、
     粽たべたべ 兄さんが、
     計ってくれた 背のたけ、
     きのふくらべりゃ 何のこと、
     やっと羽織の 紐のたけ
               大正8年「少女号」


 作曲者の中山晋平の名は童謡唱歌に興味が無くとも一度は聞いたことがあるくらいのビックネームだ。
 我が郷土の詩人野口雨情などと組んで多くの名作を世に送り出した事でも知られているのでご存知の方も多いだろう。
 しかし作詞の海野厚は今回初めてその名を知った。
「海野 厚?」
 それもそのはず、明治29年に今の静岡県静岡市に生まれた海野は大正14年には僅か28歳にして肺結核の為に亡くなっているだ。
 ナルホド、活躍の時期が短いのか。
 作品は他に「♪やっとこやっとこくりだした~」で始まるおもちゃのマーチ(大正12)他、数作品が知られているのみだ。

 さて今作品。柱のキズは何故おととしなのだろうか?

 理由は、この歌詞は世間一般的な五月五日を歌ったのではなく「海野家」のおととしの五月五日を歌ったものだからなのだ。

「愛唱歌ものがたり(岩波書店)」には、厚の17歳下の弟で元大阪芸術大学教授だった海野春樹氏の記述が載っている。
 それによると背を計ってもらっているのが春樹氏、柱にキズを付けているのが厚本人だそうだ。
 これを作詞した大正8年の二年前に海野厚は家族のもとを離れ東京へと旅だったのだが、病弱ゆえそれ以来帰郷する事はなく、「おととしには弟の背を計ってやったなぁ」との回想をしながら作ったのがこの曲だという。

 大正12年に中山晋平が詞に曲をつけてレコード化するのだが、実は晋平はこの頃「アメフリ(童謡唱歌のふるさと探訪06)」の作曲に取り掛かっていた。しかし、ともに「子供の歌」「青年愛曲集」の出版を手掛けた同志である海野厚が肺結核に冒されていると知るや、海野を励ます意味も込め、背くらべを優先して作曲したということだ。二人の友情が垣間見られる逸話である。

 さて、我が家の座敷の柱にも娘の成育の記録を記した線が日付とともに刻み込まれている。
 かつては「背を計ってやるから柱のところに立ってごらん」と娘に言うと「は~い」なんて可愛く返事しながらキヲツケの姿勢をとったのだが……。

 妻に尻を叩かれて久々の童謡唱歌のふるさと探訪。
 今回の曲は【背くらべ】。静岡県静岡市がふるさとである。
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鎌倉ぶらぶら其の4 - 2012.04.28 Sat

 光則寺の海棠を愛でて本日の目的達成。
 早くも消化試合に入る(笑)。
 さてどうしようか?

 iPadで地図を見ると〝鎌倉の大仏〟こと高徳院がすぐそこだ。
 とりあえず坂を下り大通りに出てみた。
 しかし大仏方面はまるで原宿の竹下通りのよう(スミマセン、ちょっとオーバーです)。
 当然そのような人混みには向かうはずがない。
 何故なら、人混みだろうが何だろうが行くというなら端っから流鏑馬を見に行っているからだ。
 気を取り直して地図を眺めるとどうやら〝鎌倉文学館〟がすぐそばだ。
Cut2012_0428_1055_30.jpg

 と、昨年鎌倉文学館を訪れた時近くに洋館の屋根が見えたのを思い出した。
 「あれは何だったんだろう」
 と言うことで謎の洋館を探しながら鎌倉文学館に行ってみることに。
 
 ウインドーショッピングを楽しみながらフラフラッと散策。
 相も変わらずキョロキョロと不審者のように歩いていると左手に鳥居がチラッと見えたので吸い込まれるようにそっちに歩いてゆく。

 鳥居が近付くにつれ見えた甘縄神明宮の社標。
 見た目も新しそうだし名前も聞いたことがなかったのでスルーしようとしたその時、あの石碑を発見!
04:甘縄神明宮

 どうやらこの一帯は安達一族の屋敷であったらしい。という事はあの蒙古襲来絵詞を携えて竹崎季長もここを訪なったのだろうか。
 が、石段を目の前にやっぱりスルー。
04:甘縄神明宮 (1)

 鎌倉散策はまだ始まったばかり。体力を温存せねば(階段を登りたくない言い訳)。


 参道前の小径を通り抜けると例の洋館発見。

05:長谷子供会館 (1)

 一年来の謎の洋館の正体は、長谷子供会館だった。
05:長谷子供会館 (2)


 明治期に建てられた貴重な建物と案内板にもキチンと謳ってあるのだが、その割には扱いはかなり粗末だなぁ。
 鎌倉市は古建築がたくさんありすぎて感覚が少し麻痺しているのだろうか。
 もったいない。

 建物前の階段に腰掛けしばし休息をとり、鎌倉文学館へと向かった。

鎌倉ぶらぶら其の3 - 2012.04.28 Sat

 坂道を登り切ると一面桜の花びらで化粧された参道が出迎えてくれた。
 水面に浮かべばさながら花筏といったところだろうがそこは残念ながらアスファルト。しかしそれでも趣は十分である。
03:光則寺 (1)


さてここが一応の目的地、光則寺だ。
さきほどの長谷寺があまりにも賑やかだったせいか、なんとも落ち着く雰囲気だ。といっても予想していた以上の人出だが。

門前には説明板。
03:光則寺 (2)

03:光則寺 (3)


 これが旅人にはなんと言っても一番のご馳走ではなかろうか。なにせそこがどういった所なのかがかいつまんで説明してあるので前知識なしにフラッと立ち寄っても十分楽しめる。

 そしてもう一つ鎌倉独特のものがコレ。
03:光則寺 (4)

 市内の名所旧跡で見掛けるこの石碑は、鎌倉青年会(年代により名前に変遷あり)による建立で、大正6年から昭和16年までに設置の80余基、と戦後設置の数基が今も我々観光客の辞書代わりとなっている。
 全国各地で見られるこの類の石碑は顕彰碑等が漢字びっちりの漢文、歌碑などはウネウネっとしたカナ文字(崩し字)で彫られているものが多いと思うが、ここの碑は漢文に片仮名交じりの文語体ながら、平易な文章なので我々現代の観光客にも解りやすいのでありがたい。しかも文字に白色がさしてあり見易いのがなお嬉しい。

 さて、ここは山門を潜る時に賽銭箱に拝観料100円を入れ、あとはご勝手にという形式。

 ハッキリ言ってこのお寺さん、小さな山門と本堂があるだけ。
 それも殊更かき立てる程の建物ではない。田舎の小さなお堂だ。
 が、その本堂前にある海棠が素晴らしいのだ。そして、その素晴らしさを一層引き立てているのがこの素朴なお堂なのである。
03:光則寺 (5)

 樹齢200年近いこの古木が引き立つには、その背景は八幡宮の丹塗りの社殿ではいけないし長谷のRC造の本堂でもいけない。七堂伽藍が揃っていてもいけない。この鄙びた何の変哲もないお堂が後ろに控えているからこそこの海棠の鮮やかな色や樹勢は映えるのだ。
03:光則寺 (8)


 ところでこの地は先ほどの石碑にもあるように宿谷光則という武士の屋敷だった。そしてそこに抑留されていたのが日蓮の高弟日郎。その閉じ込められていた土牢と云われているのが裏山に残っている。
 せっかくなので足を運ぶことにしたのだが、これがまた上り坂を歩く歩く……。
 さすがに花盛りの本堂周辺は多くの人で賑わっていたが、土牢を訪れる者は私一人。
 道は階段と手摺が整備されていて登りやすいものの途中何もない。いやあった、お墓が。薄暗くジメッとしていたので尚更寂しく感じた。
 それゆえか土牢前にたどり着いた時には達成感というよりも寂寥とした感じの方が強かった。
03:光則寺 (10)
03:光則寺 (9)

 土牢を覗き、そして周りに何もないのを見て、
 「日郎上人、さぞや淋しかったろう」と思ったのだが、それは自分が凡人ゆえだろう。
 おそらく高僧と言われた人はそんな寂しさとて修行の一つとしてしまうのだろう。
 
 しばし一人ここに佇み思った。「俺は凡人で構わない」と(笑)。

鎌倉ぶらぶら其の2 - 2012.04.25 Wed

 さて、気を取り直して光則寺の海棠を見にまっしぐら。
 とはいかないもので、道沿いには市指定文化財の建物やら、庭のきれいなお宅やらで目移りがして、三歩歩いては観察し、十歩歩いては後ろからの人に抜かされてといった案配。なかなか前に進まない。
 で、見つけましたよ、看板。でもそこにはお目当ての光則寺ではなく長谷寺の文字が。まっ、いいか、寄ってこ。
 ということで通りを左折。
 でも、やはり音に聞こえた長谷の観音様。その参道は人の波。
 「人混み、どうしようか……」
 と一瞬迷ったもののついつい引き寄せられてしまった。
 原因はおそらくこの赤提灯か(笑)。
02:長谷寺


 実はこのお寺さん、以前よりかなり俗っぽいと聞いていたので今回のぶらり旅で訪れる予定はなかった。しかし、せっかく近くまできたのだ。ここは善男善女に混じって観音様に手を合わせぬわけにはゆくまいて。
 ここは拝観料を納めて入山するのだが、ななナント!拝観料の支払いにSuicaやPASMOを使用できるではないか!!やはり俗っぽい(笑)。
 しかし一足山門を潜ればやはりお寺さん。季節の花も咲き誇り心が洗われるようだ。でも、やたらとそこいらじゅうに賽銭箱があるのがチョイト気にかかる。階段を上りきるごとに賽銭箱(笑)。
 幾分冷めた気分で上まで行くと本堂が目に飛び込んできた。さっきの収玄寺の何十倍という大きさ。が、こちらは鉄筋コンクリート造の無機質な建物。
02:長谷寺 (5)


 気分はすっかり冷え冷えのままご本尊に拝謁しますか・・・・・・。
 は~あ、と尊前に近付くと何とも気品のある観音像が現れた。オオ立派。立派だけどこんなもんか、と思いきやさにあらず。それは御前立で、その奥に鎮座ましますは「デッケ~!」。金色に輝く御姿はかなり威圧的。しかししばしあっけにとられながら見ていると、その静かなお顔は、やはり優しさと威厳を備え、いかにも衆生を救ってくれそうだ。気がつくと自然と手を合わせていた。この荘厳さを出す為にご本尊に会う前は敢えて俗っぽく努めているのか!などと変な納得をしてしまった(笑)。

 さて、ここで勘違いがあった。
 長谷寺というからには真言宗だとばかり思っていたのだが、ここは浄土宗とのことだ。奈良の長谷寺といえば真言宗豊山派の総本山。てっきり鎌倉もと思っていた。これが思い込みというものだろう。
 境内は散りかけてはいるもののまだ桜が見事だった。
 桜吹雪に見舞われて、久米正雄の胸像もこころなしか和んだ表情に見えた。
02:長谷寺 (3)


 展望台からは鎌倉の海が一望。みんな盛んにシャッターを切っているので思わずパチリ。
02:長谷寺 (4)


しかし、考えてみれば我が町も海沿いの町である。これより先は言わぬが花か。

鎌倉ぶらぶら其の1 - 2012.04.25 Wed

 天気快晴、気分は上々。
 さて、ウキウキ気分で向かいしは武士の古都鎌倉。
 本日の目的は鶴岡八幡宮で催される流鏑馬、のはず。しかし今日の鎌倉は(鎌倉まつり)とやらで人、人、人。
 新宿から湘南新宿ラインで快適に大船まで。ここで横須賀線に乗り換えなのだが、今朝の横須賀線はまるで通勤ラッシュのよう。あとでタクシーの運転手さんに聞いたのだが、今日はタダでさえ人出の多い日曜に祭が重なり、しかも最近旅番組や情報番組、ドラマで取り上げられたばかりなので、いつにない人出だったそうだ。こりゃあ今日一日先が思いやられるぞ。
 ドアが閉まりかかろうと発車のベルが鳴ろうとお構いなしで次から次へと無理矢理人が乗ってくる。いや~、観光客のパワーは凄まじい。お陰でたった二駅ながらモミクチャとなりながらやっとの思いで鎌倉駅に到着した。
 
 一年ぶりの鎌倉は青い空と汗ばむくらいの陽気。もうそれだけで旅人気分は最高潮、ドーパミン噴出状態だ。
 さあ「イザ流鏑馬!」と意気込んで駅から小町通り方面に目をやればそこは!
 さだまさしの「縁切寺」の歌詞ならば「今日のこの町は人影少なく」といったとこだろうが、今日のこの町は「年の瀬のアメ横」そのもの。
 あまり人混みが好きではないので、わざわざ鎌倉まで出向いたのに残念ながら流鏑馬を見るのは断念。後ろ髪を引かれつつそのまま江ノ電に乗車、長谷の駅に降り立った。
 目的は特にない。
 長谷で降りたのは何のことはない、江ノ電も転覆するんじゃないかという程の乗車率。乗っているのがイヤんなっただけである。
 「さあて、どうしようか」
 とりあえず光則寺の海棠でも見ようかと歩き始めたのだが、駅からすぐの所に小さなお寺さん発見。
 収玄寺。
急ぐ旅なら見向きもしないところだがそこはあてのない旅の良さ、フラッと立ち寄ってみる。因みにこのお寺さんの手前に何やら若者向けらしき店があって、若い娘っこらは半自動的にそちらに吸い込まれていた。

 さて収玄寺。目に付くのは大きな石碑と本堂のみ。
 石碑には「四條金吾邸址」の文字。
01:収玄寺 (2)


 「小早川金吾なら知ってるが四條金吾って誰だ?」
 石碑の揮毫者は東郷平八郎。なんとか金吾よりもこっちの方が馴染みが深い名前だ。

 通りより十歩と歩かずに本堂の前に出てしまう小さな境内。
 しかしきれいに緑青の出た銅板葺きの方形屋根に唐破風の向拝(ごはい)の付いた本堂は、小ぶりながらもサスガは鎌倉と勝手に納得をしてしまう上品な造り。一言で言えばスマート。
01:収玄寺 (1)


 その本堂前に案内板が立っていた。オー、さすが観光地!(これから回る社寺の殆どにキレイな説明板が設置されていた。鎌倉市の観光に対する姿勢が見て取れますナァ)


 それによると、
日蓮宗収玄寺
四條金吾頼基公(北條氏江間光時の臣)の屋敷跡
……。

江間光時?また知らない名が!
〝龍口法難〟云々と書いてある。
ああ、それは知っている。刀が折れたやつだ(大雑把な理解)。
何でも四條金吾は日蓮に傾倒した人物で日蓮が龍ノ口で斬られそうになった時、護送中付き添った人物。諱は頼基。父は北条泰時、江間光時の家臣だった四條中務左衛門尉頼員。
で、江間光時は北条(名越)朝時の嫡男。朝時は北条得宗義時の次男で三代執権泰時の弟。
ウ~ン、小さな寺と侮っていたが、どうしてどうして、チョットした勉強になった。
しかし、150坪程度の小寺(失礼!)に十五分も費やすとは。少々ピッチを上げねばなるまい!!

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